氷室冴子先生を偲ぶ会2014(藤花忌:ふじはなき)参加記3
偲ぶ会では、氷室先生ゆかりのアイテムを持参され、見せてくださったかたもいました。
偲ぶ会の田中二郎先生からは、氷室先生が愛用されていた富士通OASYS対応の
親指シフトキーボード。初めて見ました。
新井素子先生の紹介で氷室先生にパソコンを教えることになったのが、
田中先生と氷室先生が知り合われるきっかけだったそうです。
ちなみに、現在親指シフトに対応してくれる店は、青山に1店だけあり、
受注生産に近い状態らしいですが、今でも新井先生はこのタイプだそうです。
偲ぶ会の寺尾様は、遺影や和服、洋服を見せてくださいました。
遺影は、岩見沢在住の氷室先生のお姉さまが貸してくださったとのことでした。
氷室先生は、生前からご自身の葬儀やお墓の手配をされていたそうですが、
「銀座の写真館で「遺影を撮りに来ました」と言って写真館の人をびびらせた」
エピソードも語られ、お人柄が想像されました。
遺影の氷室先生は、紺地に藤の花を散らした着物で微笑んでおられますが、
その着物や帯、一路真輝さんの結婚式で着たという黒いシャネルの
ノースリーブワンピースも見せていただきました。
また、寺尾様は華やかなピンクの薔薇柄のワンピースを着ていらっしゃいましたが、
それも氷室先生が愛用していた服で、イタリア旅行でも着ていたとのことです。
氷室冴子先生を偲ぶ会2014(藤花忌:ふじはなき)参加記2
氷室先生の七回忌にあわせて6/1~6/30まで、龍善寺近くのあゆみBOOKS早稲田店と
芳林堂書店高田馬場店で、「氷室冴子を読もう!」フェアが開催されています。http://natalie.mu/comic/news/117792
山内直実先生の原画や、親交のあった先生方のメッセージ入りの帯があるそうです。
帯は、偲ぶ会の田中二郎先生が、6/12付けでHPにアップなさっています。
http://nerimadors.or.jp/~saeko/
あゆみBOOKSには、ファンが書き込めるメッセージボードもあるそうです。
6/7偲ぶ会では、このフェアのチラシと白泉社・集英社で「いますぐ読める氷室冴子」の
チラシをいただきました。
偲ぶ会の前後に、フェアに行かれた方も多かったと思いますが、私は時間の都合で
伺うことができませんでした。興味のある方は、是非立ち寄ってください。
氷室冴子先生を偲ぶ会2014(藤花忌:ふじはなき) 参加記1
6月7日、早稲田の龍善寺で行われた、氷室冴子先生を偲ぶ会に参加してきました。
七回忌の今回から、藤花忌と呼ぶこととなったそうです。
2時に集合して最初に法要が行われ、お寺の一室で氷室先生のことを語りあう時間を設けていただき、5時過ぎにお墓に手を合わせて解散となりました。
出席されたのは、氷室先生を偲ぶ会の方々、山内直実先生、藤田和子先生、
白泉社の編集者の方々、そして読者がだいたい二十数名でした。
雨の中遠方から来た人も多く、男性も数名いました。
ご友人や、出版関係者は、前日の祥月命日に集まられたそうで、
7日は読者のための集いでした。
偲ぶ会では、一人ずつ自己紹介して、フリートークとなりました。
生前の氷室先生をご存知の方たちは思い出やちょっとした裏話を語ってくださいました。
氷室先生は、自称晴れ女だったそうですが、偲ぶ会は雨に見舞われることが多いそうです。
読者は、各々の熱い思い入れを語りました。
氷室先生の作品をきっかけに、古典文学や歴史を専攻したという人もいました。
氷室先生について人と話せたのは、十数年前の高校生のとき以来でした。
このブログは、結構マニアックなことを書いているつもりだったのですが、
当たり前のようにそういう話が通じるという、稀有な体験をさせていただきました。
先生のお墓には「倶会一処」(会は旧字)との言葉が刻まれていました。
浄土真宗の言葉で、亡くなった方に浄土でまた会うことができるという意味だそうです。
すぐにわかるような形でお名前が刻まれているお墓ではありませんでした。
同じ氷室先生の作品を愛している人と、貴重な時間を過ごせました。
偲ぶ会を開催してくださっている方々と、お話していただいた皆様に、
心より感謝いたします。
ナタリーって誰?
映画に無知な私の素朴な疑問なのですが、「冬のディーン 夏のナタリー」のナタリーとは、誰のことを指しているのでしょうか?
ディーンは、「エデンの東」で弟を演じたジェームズ・ディーン。作中でワタルが、ディーンをタケルと重ね合わせる。
しかし、ナタリーについては作中に言及がない。「エデンの東」の登場人物でもないようだ。ナタリー・ポートマンは年代的に合わないと思う。
ご存じの方、教えてください。
落窪物語 番外編
氷室冴子先生は、講談社「落窪物語」のあとがきで、少将の乳母を主人公にして番外編を書きたいと述べている。
「冴子の母娘草」「いっぱしの女」「なんて素敵にジャパネスク」「ターン」・・・氷室先生は、結婚しろと子供に重圧をかける親のモチーフを繰り返し書いてきた。それは、ご自身の体験にもとづく部分が多かったのだろうと思う。
だから、発表された作品は、重圧をかけられる子供の視点から書かれたものばかりだ。氷室先生が、子供に重圧をかける母親の視点から書けば、新境地となったことだろう。書かれなかったことが惜しまれる作品は多いが、その一つである。