多恵子を好きな男子
「マイ・ディア」文中に、オルコット「八人のいとこ」に関連して、「私だって、女の子ひとりに、相手役の男の子をだすとしたら、(描き分けられるのは)三人が限度ですからね」という発言がある。
しかし、氷室作品にはこの発言を裏切ってもてまくる女の子がいる。そう、原田多恵子だ。
雨城なぎさ。上邑三四郎。森北里。井上さん。加納建二。松宮豪紀。久保田伸利。はっきりと多恵子に恋愛感情があると書かれた男子が、ちょうど七人だ。さらにシスコンの弟亮、失恋仲間(?)の佐伯晃一などもいる。
その一方で、氷室先生は「ガールフレンズ」で、多恵子のことを「うざったい」「やな女の子」などと発言している。嫌いなタイプの女の子を描き、大勢の男の子と関わらせることで、新しいものに挑戦していらしたのかもしれない。
野枝の大学生彼氏説
北里は野枝のことを、「・・・大学生あたりとつき合っているのではないか・・・/あのふてぶてしいほどの、槇修子にもないヘンな自信やおちつきは、すでにもう、バージンではないのではないか・・・」と思っている。
北里の想像の真偽は、「北里マドンナ」の最後まで読んでも明かされないので、いっそう気になる。麻生野枝編で彼氏が登場する予定だったのかもしれない。
一方で、北里の妄想説も私は捨てきれない。なぜなら、年上の異性と交際して自信をもつ構図は、柏原夫人について「ここでやっとけば、確実に、その点だけは、なぎさに勝てるだろうと思ったんだ」と語る北里の裏返しだからだ。
もう一人、(性関係はないかもしれないが)年上の異性とつきあってグループから自立するのが三四郎だ。
槇に「森くんたちって、ほんとに原田さんの親衛隊みたいね」と喝破された五人グループ。男子は三人とも多恵子が好きで、野枝も多恵子に執着している。
この関係から距離をおき、多恵子から卒業するためには、年上の相手が必要だと、北里は無意識に感じているのかもしれない。
瑠璃姫と真秀
瑠璃姫は子供の頃、鬼ごっこや石蹴りをしていたが、年頃になるとさすがにできず、たまにお忍びで外出する程度だ。しかも、琴も裁縫も書道も嫌いで、読書や絵に熱中する様子もない。毎日は、非常にエネルギーを持て余したものだろう。
「なんて素敵にジャパネスク」1巻で、瑠璃姫はいつもいらいらしている。直接的には結婚問題のせいだが、もっと根本的な理由はエネルギーを持て余していることではないか。
さらにいえば、瑠璃姫は平安貴族社会に対する痛烈な批判者だが、彼女の生活は(独身時代も結婚後も尼寺に行ったとしても)父親の財力抜きには成り立たない。耕作にいそしむ民草を思う視点はあるが、自分で手を動かして生きる糧を手に入れられるわけではない。そういった矛盾が瑠璃姫のウイークポイントなのではないかと思う。
幼い頃から肉体労働に励んできた真秀は、そんな瑠璃姫とは対照的だ。真秀について、「氷室冴子読本」収録の萩尾望都先生との対談で、「生きてくために食べなきゃいけない、そういうことでがんばるという、とってもピュアなかたちで女の子に役割を負わせられます。」との発言がある。瑠璃姫の正反対だ。ジャパネスクを中断した氷室先生は、自らの手を動かして食べ物を得る力を持った真秀を書くことで、何らかの救いを得ていたのかもしれない。
源氏物語とジャパネスク 3
「身軽な狩衣姿」「長身ですっきりした身のこなし、整った目鼻だち、はっきりいってすごい美男子(ハンサム)だ」。雑色に身をやつした鷹男の、瑠璃姫から見た第一印象だ。
「この何日かってもの、考えることといったら、守弥とかいう者のことばっかりだった」「あの、峯男にそっくりな守弥に会うなんて、考えただけで、どきどきしてしまう」これは、3巻の人妻編からの引用だ。
「質素ないでたちながら、その男はかなり、イイ男だったのだ。/顔は、凛々しい筋肉質のタイプ。/エラが少し張りぎみだけれど、ヤボッたくはない。/きりりとした濃い眉なんかは、なかなかに見どころある気骨を感じさせる」5巻に登場する師の宮の従者、邦利光に対する、瑠璃姫のコメント。
これらを並べてみると、瑠璃姫は中の品の男が好みなのだろうかという疑問がわいてくる。「源氏物語」雨夜の品定めの男たちの向こうをはるかのように。
たぶん、身分高い貴族男性の多くは、優雅で軟弱で女々しく、全く瑠璃姫の好みではないのだろう。邦利光の描写は、生命力にあふれる活動的な人に、男性としての魅力を感じる好みが、よくあらわれている。
高彬、そんな瑠璃姫と結婚できて、よかったね。