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マスコミでの取り上げられ方(2)

 Asahi Journal1986103日号にも氷室冴子先生が登場し、筑紫哲也氏と対談している。「なんて素敵にジャパネスク」ドラマと「恋する女たち」映画のプロモーションの時期だ。

 対談のタイトルは、「純文学は字ばかりで苦手と呼吸するように書く」である。

「本ばっかり読んでいました。どっちかというと、論文とか評論みたいなものが好きなんです。小説は大学に入ってから、研究するものとして読んだんですけど、純文学って活字ばっかりで飽きちゃって(笑い)。評論のほうが、その人の思想とか視点とかがはっきりしているので、すぐに読めるんです」「点の打ち方とかも含めて、人間が吸って吐いて、吸って吐いていますよね。それに近い文章を書こうと思っているんです」などの発言をうけたタイトルだ。

 だが、純文学が活字ばかりで飽きた、というのは徹底的に純文学を読み込んだうえでの冗談だし、呼吸するような文章というのも、不自然でない文体を考え抜いて書いているという意味だ。「活字がわたしにとっていちばんピッタリくる」という発言もある。

 しかし、ろくに活字を読まない作家が感覚だけで文章を書き散らしている、という印象をタイトルから受ける人もいるだろう。

 氷室先生が純文学にも造詣が深いことは、受賞作「さようならアルルカン」一編を読めば分かることだ。口語的に見える文章も、しゃべるままの言葉とはまったく違い、計算しつくして書かれている。

 「ホンの幸せ」収録の「文庫本6冊分の道のり」で、氷室先生はマスコミでの取り上げられ方について書いているが、この記事はその一つなのだろうと思う。

 こんな取り上げられ方の原因として、嫉妬があったのではないか。既存の活字業界には理解できない作品が、読者に広く受け入れられたから、半ば無意識に嫉妬されていたかもしれないと、私は感じた。だが、氷室作品は、どんなに嫉妬されても貶められても、ホンモノだから受け入れられ、今でも愛されているのだ。