氷室冴子先生を偲ぶ会2014(藤花忌:ふじはなき)参加記5 完結

一読者の勝手極まりない思いだが、私は、氷室先生はあまり新作を
発表なさらなくなった96年頃から、亡くなる3年ほど前に闘病に入られるまで、
どのようにお過ごしだったのか
とずっと思っていました。

はじめて偲ぶ会に足を運んで、我慢できず、田中二郎先生に話しかけて
そのあたりのことを聞いてしまいました。
田中先生の答えを要約すると、「作品を発表しなくなったのは、
疲れたとか、病気とか、出版社と何かあったとかではなく、
自分の中で納得できるプロットを作れなかったからではないか。
99年頃に知り合ってパソコンを教えたが、エッセイなどは書いていた。
考えたプロットを聞かされて、「どう思う」と聞かれることもあった。
それらのプロットは、氷室先生の頭の中にしか残っていないだろう。
氷室先生は、「銀の海 金の大地」第2部などの諸々の作品の続きを
発表しないまま亡くなった事を、悔いてはいなかったろうと思う」

読者としては、あの作品も、あの作品も続きを読めないということは
悲しい限りだが、氷室先生が納得してそのことを選んでいたのならば
しかたがないと思えてきました。
一つのお答えを聞くことができて、本当によかったと思っています。