アニメージュ 2008年8月号 追悼・氷室冴子さん

 藤花忌で教えていただいた。
 望月智充(アニメ版監督)・近藤勝也(イラスト・アニメ版作画監督)・高橋望(アニメ版プロデューサー)・三ツ木早苗(徳間書店の担当編集)による対談がメインだ。連載が始まる前、近藤氏によるイラストに触発されてイメージが膨らんだエピソードなどが語られている。
 そのほかアニメージュ連載時・アニメ版の「海がきこえる」の紹介、「氷室さんが語った、『海がきこえる』アニメ化に寄せて」のコラム。三村美衣による、「少女の『今』と『心』を描き続けた不世出の作家」の評論などで構成されている。
 三村美衣さんによる評論の最後の段落、「・・・長い沈黙に入ったが、それも新作のために必要な充電期間だと思っていた。好きな作家はいっぱいいるが、それでも氷室冴子に代わる存在はない。残念でならない」という言葉にうなずかない氷室ファンがいるだろうか。もう書く必要がないかもと思うくらい、私がこのブログで書きたいことのほぼすべてを言い尽くしてくださっている。(あと少し書くけれど)

山内ジャパネスク

なんて素敵にジャパネスク 人妻編 4 (白泉社文庫 や 2-14)

 山内直実先生の、漫画版なんて素敵にジャパネスクを再読している。
 昔は、「○○が美形」などということばかり考えて読んでいたが、すごく勉強になる。たとえば、御簾や几帳がどんなものか、一目でわかる。漫画だと、小説ではスルーできることも書き込まなければならない。
 たとえば、右大臣家の従者の問題だ。
 太秦に三条邸炎上の報が届くシーンや、吉野から帰京する瑠璃姫と小萩が高彬の車と出くわすシーンで、右大臣家の従者が出てくる。小説は瑠璃姫視点で描かれており、「早馬の一人」とか「使いの者」とか「従者」とか、使いの者としか書かれない。(瑠璃姫はたぶん彼らの名を知らない)が、漫画だと政文なのか将人なのか守弥なのか、その場限りの名無しのキャラクターなのか決める必要が出てくる。山内先生のご判断で決めたのだろうか。面白い。

 

古本ぺんぎん堂

 

 http://penguindou.com/?mode=f7

 氷室先生の著作年表を掲載されている、オンライン古本屋さんです。
 アンソロジー・解説。エッセイ集などに収録された作品もとても充実したラインナップです。
 店主の方による解説がついている上、そのまま購入できる書籍も多いです。
 

 

「源氏物語」とジャパネスク 2

 桐壷女御は、かなりはっきりと桐壷の更衣を連想させるよう書かれている。名前と、後宮での頼りない立場。大納言の女(むすめ)として入内すると、立場が弱い。
 作中にはもう一人、大納言の女が登場する。そう、瑠璃姫である。何不自由ない姫君のイメージがあったが、今回再読して、登場時には大納言の女(2巻で内大臣の女になる)だと気づいた。本人も親もそもそも後宮入りを考えないから、大納言の女であることをひけめに思う必要がないのだが。
 また桐壷女御(絢子姫)は、帝の妻でありながら、帝の近親者と密通して子供を産んでしまう、藤壷中宮にも似ている。桐壷更衣と藤壷中宮の両方と共通点をもつ女性、絢子姫がたどった運命は、源氏物語よりもさらにドラマティックかもしれない。

 

「源氏物語」とジャパネスク 1

なんて素敵にジャパネスク 〈7〉 逆襲編 (コバルト文庫)

 いうまでもないが、平安文学パロディの「なんて素敵にジャパネスク」は、「源氏物語」を思わせる箇所がたくさんある。
 瑠璃姫の名は、夕顔の娘玉鬘と同じ名を持つ。しかし玉鬘は、田舎育ちながらも理想的な貴族女性だが、瑠璃姫は平安貴族女性の常識をすべてやぶり、活発で率直で乱暴で外出が好きで結婚を拒もうとする。
源氏物語」の末摘花は、「落ちぶれた屋敷にひっそりと住む高貴な美しい姫」という、当時の幻想に紫式部がNOをつきつけたキャラクターだろう。氷室先生は、その末摘花にさえNOをつきつける。「落ちぶれた屋敷にひっそりと住む高貴な美しい姫」であるはずの煌姫の性格は、ご承知のとおりだ。
 煌姫のすごいところは、いざというとき武器を手に戦う気概すらもっていることだ。7巻で潜伏した漁師小屋に追っ手の気配があったとき、煌姫は「鋤のようなもの」を手にとって、迎え討つ準備をする。結局ことなきをえるが、宮姫として育ちながら、ナチュラルに戦おうとする煌姫の胆力には感心するほかない。
 一方の瑠璃姫にも、2巻では小刀を持って唯恵に向かっていくシーンがある。
 時には武器を手に取り戦う気迫をもった姫君たち。平安時代には想像もできなかったキャラクターだろう。

 

 

「なんて素敵にジャパネスク2」セリフ対決

「ガールフレンズ」収録「冴子ベスト3」ので氷室先生が、お気に入りのキザセリフとして2巻から二つあげている。
 1位は唯恵の「世、みな牢固ならず。水沫泡焔のごとし。あの日々は儚く、見果てぬ夢のように輝いていましたね」
 3位は高彬の「ぼくで、我慢しなよ」
 私は、どちらかというと高彬のセリフの方が好きです。瑠璃姫の何もかもを受け入れ、肯定する。かやの外におかれがちな高彬だが、この一言で一気に男を上げたと思う。
 どちらが好きな人が多いのだろう?

 

「なんて素敵にジャパネスク」愛ゆえの長さ

 3巻から8巻は長い。3巻は新婚生活、4巻はアンコール編の後日談、守弥と瑠璃姫の決着が書かれている。そして、はっきりと話の区切りがあるわけではないが、5巻から8巻までがほぼ師の宮編となる。
 異論はあろうが、師の宮は少し長すぎるのではないかと思うときがある。宮廷事情の説明の繰り返しや、習俗の説明を減らせば、2冊くらいになるのではにかな、と。
 しかし、そういった背景を書き込み方をみると、氷室先生が古文教師として授業しているシーンが思い浮かぶ。古文が好きで好きでたまらず、話をはじめるといつも止まらなくなってしまう、古文好きな子には愛されている先生。そんな授業も、悪くない。