北里マドンナ 語られなかったこと

北里マドンナ (集英社文庫―コバルト・シリーズ)

 

 「北里マドンナ」では「なぎさボーイ」「多恵子ガール」の脇役、森北里が、親友なぎさへのコンプレックス、なぎさのガールフレンド多恵子への恋愛感情、そのカップルを揺さぶった槙への思いを語る。

 しかし、読み返してみて、もっと語られるべき大事なことはいろいろあるのではないかと思うようになった。

 まず、父親のこと。彼の家族は日舞の家元である祖母と母、内弟子の女性だけである。父親の不在がなぎさコンプレックスの大きな原因であると説明されるが、小さい頃いなくなったと野枝がいうだけで、離別か死別かもわからない。北里は、自分が父のことを同思っているのかを語らない。

 次に、柏原夫人のこと。作品の終盤で北里は中学二年生のとき、日舞の有力な弟子である夫人と初体験を済ませたと告白して登場人物たちに衝撃を与える。しかし、中学時代の恋愛について語るとき、その相手は一貫して多恵子であり、夫人に対して恋愛感情、欲望、執着あるいは後悔や嫌悪感など、何かしらの感情を抱いている様子をまったく見せない。

 最後に、進路のこと。高2の夏、家業の日舞には今後関わらないと宣言し、前年までは参加していた踊りの会もやめる。高1の夏に野枝が、自分は若手の実力ナンバーワンなのに、家元の愛孫である北里のほうが優遇されていると愚痴るが、北里はそのあたりのことをどう思っているのか不明だ。自分で日舞に見切りをつけたということなのか。

 そして、「受験体勢に入るのか」と問われると、そうではないという。理系で、今にもトントン拍子に国立に受かりそうといわれる成績を誇るわりに、彼の描く将来像は実直なサラリーマンである。モラトリアム気分にしては、子供の頃からやってきた日舞をやめるというのは重い決断であると思う。

 北里は、深刻に考えている別のことを、なぎさや多恵子や槙の話で隠蔽しているという気がしてならない。まったく別の「北里ボーイ」があったりして。