氷室冴子先生を偲ぶ会2014(藤花忌:ふじはなき)参加記5 完結

一読者の勝手極まりない思いだが、私は、氷室先生はあまり新作を
発表なさらなくなった96年頃から、亡くなる3年ほど前に闘病に入られるまで、
どのようにお過ごしだったのか
とずっと思っていました。

はじめて偲ぶ会に足を運んで、我慢できず、田中二郎先生に話しかけて
そのあたりのことを聞いてしまいました。
田中先生の答えを要約すると、「作品を発表しなくなったのは、
疲れたとか、病気とか、出版社と何かあったとかではなく、
自分の中で納得できるプロットを作れなかったからではないか。
99年頃に知り合ってパソコンを教えたが、エッセイなどは書いていた。
考えたプロットを聞かされて、「どう思う」と聞かれることもあった。
それらのプロットは、氷室先生の頭の中にしか残っていないだろう。
氷室先生は、「銀の海 金の大地」第2部などの諸々の作品の続きを
発表しないまま亡くなった事を、悔いてはいなかったろうと思う」

読者としては、あの作品も、あの作品も続きを読めないということは
悲しい限りだが、氷室先生が納得してそのことを選んでいたのならば
しかたがないと思えてきました。
一つのお答えを聞くことができて、本当によかったと思っています。

 

 

氷室冴子先生を偲ぶ会2014(藤花忌:ふじはなき)参加記4

ジブリの教科書5 魔女の宅急便 (文春ジブリ文庫)

6月7日に行われた氷室冴子先生を偲ぶ会では、氷室先生関連のレアなアイテムを
いろいろ見せていただきました。

山内直実先生は、「ガールフレンズ」のカラーページに掲載されている、
高彬と瑠璃のイラストの原画を見せてくださいました。綺麗!
また、氷室先生との写真が収められているアルバムも見せていただきました。

どなたのものかわからないのですが、
氷室先生による自作朗読のカセットテープ、
「冴子の東京物語」単行本発売時のリーフレット(氷室先生のコメント入り)
海がきこえる」映画公開時のパンフレット(同じくコメント入り)
氷室先生の追悼特集のアニメージュなどもありました。

印象的だったのが、「魔女の宅急便」公開時のムックで、
宮崎駿監督と氷室冴子先生の対談が収録されていました。
公開前に収録された対談で、氷室先生は「魔女の宅急便」を
まだ見ていないにもかかわらず、鋭い質問を投げかけています。
これは、「ジブリの教科書5 魔女の宅急便」文春文庫に収録されています。
ジブリ文芸春秋に感謝。

 

 

氷室冴子先生を偲ぶ会2014(藤花忌:ふじはなき)参加記3

偲ぶ会では、氷室先生ゆかりのアイテムを持参され、見せてくださったかたもいました。

偲ぶ会の田中二郎先生からは、氷室先生が愛用されていた富士通OASYS対応の

親指シフトキーボード。初めて見ました。
新井素子先生の紹介で氷室先生にパソコンを教えることになったのが、
田中先生と氷室先生が知り合われるきっかけだったそうです。
ちなみに、現在親指シフトに対応してくれる店は、青山に1店だけあり、

受注生産に近い状態らしいですが、今でも新井先生はこのタイプだそうです。

 

偲ぶ会の寺尾様は、遺影や和服、洋服を見せてくださいました。
遺影は、岩見沢在住の氷室先生のお姉さまが貸してくださったとのことでした。
氷室先生は、生前からご自身の葬儀やお墓の手配をされていたそうですが、
「銀座の写真館で「遺影を撮りに来ました」と言って写真館の人をびびらせた」

エピソードも語られ、お人柄が想像されました。

遺影の氷室先生は、紺地に藤の花を散らした着物で微笑んでおられますが、
その着物や帯、一路真輝さんの結婚式で着たという黒いシャネルの

ノースリーブワンピースも見せていただきました。
また、寺尾様は華やかなピンクの薔薇柄のワンピースを着ていらっしゃいましたが、
それも氷室先生が愛用していた服で、イタリア旅行でも着ていたとのことです。

 

氷室冴子先生を偲ぶ会2014(藤花忌:ふじはなき)参加記2

なんて素敵にジャパネスク 人妻編 3 (白泉社文庫 や 2-13)

氷室先生の七回忌にあわせて6/1~6/30まで、龍善寺近くのあゆみBOOKS早稲田店と
芳林堂書店高田馬場店で、「氷室冴子を読もう!」フェアが開催されています。http://natalie.mu/comic/news/117792

 

山内直実先生の原画や、親交のあった先生方のメッセージ入りの帯があるそうです。
帯は、偲ぶ会の田中二郎先生が、6/12付けでHPにアップなさっています。

http://nerimadors.or.jp/~saeko/

あゆみBOOKSには、ファンが書き込めるメッセージボードもあるそうです。

6/7偲ぶ会では、このフェアのチラシと白泉社集英社で「いますぐ読める氷室冴子」の
チラシをいただきました。
偲ぶ会の前後に、フェアに行かれた方も多かったと思いますが、私は時間の都合で
伺うことができませんでした。興味のある方は、是非立ち寄ってください。

氷室冴子先生を偲ぶ会2014(藤花忌:ふじはなき) 参加記1

6月7日、早稲田の龍善寺で行われた、氷室冴子先生を偲ぶ会に参加してきました。
七回忌の今回から、藤花忌と呼ぶこととなったそうです。
2時に集合して最初に法要が行われ、お寺の一室で氷室先生のことを語りあう時間を設けていただき、5時過ぎにお墓に手を合わせて解散となりました。

出席されたのは、氷室先生を偲ぶ会の方々、山内直実先生、藤田和子先生、
白泉社の編集者の方々、そして読者がだいたい二十数名でした。
雨の中遠方から来た人も多く、男性も数名いました。
ご友人や、出版関係者は、前日の祥月命日に集まられたそうで、
7日は読者のための集いでした。

偲ぶ会では、一人ずつ自己紹介して、フリートークとなりました。
生前の氷室先生をご存知の方たちは思い出やちょっとした裏話を語ってくださいました。
氷室先生は、自称晴れ女だったそうですが、偲ぶ会は雨に見舞われることが多いそうです。
読者は、各々の熱い思い入れを語りました。
氷室先生の作品をきっかけに、古典文学や歴史を専攻したという人もいました。

氷室先生について人と話せたのは、十数年前の高校生のとき以来でした。
このブログは、結構マニアックなことを書いているつもりだったのですが、
当たり前のようにそういう話が通じるという、稀有な体験をさせていただきました。

先生のお墓には「倶会一処」(会は旧字)との言葉が刻まれていました。
浄土真宗の言葉で、亡くなった方に浄土でまた会うことができるという意味だそうです。
すぐにわかるような形でお名前が刻まれているお墓ではありませんでした。

同じ氷室先生の作品を愛している人と、貴重な時間を過ごせました。
偲ぶ会を開催してくださっている方々と、お話していただいた皆様に、
心より感謝いたします。

 

「なんて素敵にジャパネスク」愛ゆえの長さ

なんて素敵にジャパネスク 〈8〉 炎上編 (コバルト文庫)

 3巻から8巻は長い。3巻は新婚生活、4巻はアンコール編の後日談、守弥と瑠璃姫の決着が書かれている。そして、はっきりと話の区切りがあるわけではないが、5巻から8巻までがほぼ師の宮編となる。
 異論はあろうが、師の宮は少し長すぎるのではないかと思うときがある。宮廷事情の説明の繰り返しや、習俗の説明を減らせば、2冊くらいになるのではにかな、と。
 しかし、そういった背景を書き込み方をみると、氷室先生が古文教師として授業しているシーンが思い浮かぶ。古文が好きで好きでたまらず、話をはじめるといつも止まらなくなってしまう、古文好きな子には愛されている先生。そんな授業も、悪くない。