これからの蕨ヶ丘物語

蕨ケ丘物語 (集英社文庫―コバルト・シリーズ) 

 これを書いている現在は2013年で、1984年の蕨ヶ丘物語から30年近くが経っている。日本はバブル経済とその崩壊、二度の大震災、先の見えない不況の時代と地方の深刻な過疎化高齢化を経験している。そんな時代の蕨ヶ丘と権藤家のことが心配で仕方ない。そこで、後日譚を考えてみた。

○長子夫妻 お情けで分与された村の隅の土地で細々と農業を営むが、子供の誕生を機に、自然志向、健康志向に目覚める。夫は有機栽培、妻はそれをつかった料理のレストランを始め、遠方からも人が来るようになる。

○次子・洋之介夫妻 けんかしつつも結局権藤家を継ぐ。洋之介が農業を、次子が財務や村の付き合いを仕切る。有機栽培を権藤家でも取り入れる。

○待子・三四郎夫妻 夫婦とも蕨町役場に就職。待子は、農業関係の部署で働き、蕨ガ丘と町政のパイプ役に。三四郎は、高齢化・少子化関連部署で、元気な老人の力を生かした保育所や介護施設の設立に尽力。女性陣はそれぞれこどもを産んでいるので、保育所の世話になる。

○末子 一時は平和な主婦生活をおくっているが、次子の依頼で、営業担当になり、農作物の販路拡大を行う。やがてインターネット野菜通販事業をはじめる。

○美年子 イベント会社を設立。旅行会社とタイアップしたエコ農業体験ツアーをひっぱってきたり、映画のロケをセッティングしたり、蕨ガ丘の観光地化をめざす。

○孫世代 「銀の匙」のような漫画を描き、聖地巡礼者がやってくる。

 バブル崩壊後、農地や山林を切り売りしなければならない局面があり、次子と小梅は何度も衝突する。この財産のために自由に生きることができず、おばあさまも姉妹も苦しんできたと次子は泣きながら訴え、権藤家の土地を守らなければ自分の人生は無意味だったと小梅は吐露する。お互いの気持ちに気づく。
 そんな頃に起こった阪神大震災。小梅が孫娘とその夫たちを一喝して、ボランティアに行かせる。東日本大震災のときは、孫娘たちが小梅の気持ちをくんで、率先して被災者を受け入れる。

 以上、二ノ宮知子「Green」と黒野伸一「限界集落株式会社」のアイディアばかりなことをおわびします。
 ちなみに小梅ばあさんは、存命なら現在ちょうど満百歳です。「百年の孤独」のウルスラばあさんのように、生きていそうでちょっと怖い。